言葉に現れる意識の微妙な違い

2021年11月29日 20:41

言葉を大切にしよう、とよく耳にします。
言葉にはその人の意識がそのまま現れるからです。
言葉にならない心の声が
反映されています。
言葉のその奥に潜む心の声。
それを人は敏感にキャッチしてしまう。
それが言霊。
言葉が悪いわけではないんですね。
例えば「バカ」という言葉。
相手を否定して出すときと
愛が溢れて、つい、「バカなんだからぁ♡」なんて口に出てしまうとき。
「バカ」に違いが見えてきますね。

直売所を始めたのは
うちのお米を求めてくださる方と
直接関わりたいからでした。
わざわざ我が家まで足を運んできてくださる方と、話したい。
自分本意で始めた直売所も、
欲が出て、来て下さる方のため、
地域活性化のため、となってくると
途端に、息苦しくなり、自分を追い詰めてしまうことになるんだと気付きました。
○○のため、○○してもらいたい。
と、目的が、相手の行動、相手の気持ちを変えるためであること。つまり、他人に軸を持っていくと、自分のやっていることが
陳腐にみえてきます。

私はこうしたいんだ、
こうだから、ああで、こうしたいの!
それでオーケーなのです。
あの人のために
この人のために
喜んでもらいたい。
○○してもらいたい。
という表現と、○○したい。
おんなじように聞こえますけど
全く違うのです。
もらいたいは、相手ありき。
したいは、自分のこと。

微妙な違い。

私は、自分が、お米作りを通して
人と関わることができたこと。
その人たちに救われたこと。
自然界で起きていることを
自分に戻して見ていくことができること。
そのおかげで、少しずつ、幸せや豊かさを感じることができるようになったこと。
それを伝えたいと思っています。



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