おばちゃんの嘆き

2021年12月12日 21:58

「何のためにお米をつくっとるんかわからん」

近所のおばちゃんとの会話で心に残っている言葉。

そのおばちゃんは、車で40分くらいかけて、佐山の田んぼへ田んぼを"もり "しにやってくる。
田んぼの持ち主だったおばちゃんのお兄さんが亡くなり、残された田んぼを守り(もり)しにやってくるのだ。

田舎の農村は、小さな閉ざされた社会。
ここに、今の日本の社会情勢が、映し出されているように感じる。

田舎は、草との戦いだ。
なぜか…?

「草を生やすと隣に迷惑をかける」
「回りがきれいに草を刈るからうちも」

草刈りをして畔をお手入れすること。
水田に生えたヒエという雑草の草取りをすること。これらの作業の本来の動機が、田んぼのため、稲のためにしている。そしてそれが自分の喜び、であれば、

戦いにならないのではないか。

畔草を刈ってお手入れをすると、
その時々で咲き誇る野の草花があることに気付く。
お手入れしないと、
根が強靭なセイタカアワダチソウやヨモギ、紀州スズメのヒエなどのやっかいな草がはびこる。
野の草花の可憐な姿を見たいがために、
楽しんで畔草刈りをしている自分がいる。

ところが、
おばちゃんは、

「まわりがやっているから、うちだけやらないわけにはいかない」
「うちの田にだけヒエがはえとったら取らんわけにいかん」

人の目を気にしての作業なのだ。
これはとてつもない重責。苦痛を強いられる。

その上、
化学肥料の使用量から農薬の使用回数まで、農協の"稲作こよみ"という指導冊子があり、それに基づいてお米を作っている。

これは、
守らなければならない決まり    では決してない。
だけれども、
「お宅は肥料何キロ入れた?」
なんて隣の人に聞かれると、同じように答えるしかない。
なぜか、?

人と違うことをしていると思われたくいから… だ。

農協が悪いわけではない。

選択して決めるのは農家自身だ。

周りの空気を察した上での重労働、
指導通りの高価な化学肥料や農薬を使い、
お米の収穫量を上げる(増やす)。
その結果
お米は安くなってしまっている。
今はお米が余っている時代だ。

何のためにやってるかわからん。

そんな言葉が出てきて当然。

誰も悪くない。
空気をよむことをやめて、
自分で決める。
おばちゃんは言っていた。

「心を入れ変えんにゃいけんのかね」

お金をかけて、人の目を気にして
大変な思いをして育てたお米。
そのお米の収穫量が少なかったら、
いよいよ何のためにやってるんかわからなくて
悲しくなる。

そうだよね、おばちゃん。

「やってあげてる」

その気持ちはなくても大丈夫。

自然に任せておけば、勝手に育って
恵みをもたらしてくれる。

私たちにできるのは、側で見守り
お手入れをすることだけだよ。

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