お米の可能性研究所とは

2022年07月17日 23:34

令和4年6月より
ここでの活動を始めました。
十数年空き家で、元は商店だった場所です。
NPO法人でもなければ
公の団体でもない
私主催の任意団体「お米の可能性研究所」です。

この中に
お米野産なかざわ 精米・直売所があります。

空き家を購入し、
中にあった当時のままの"物"を運びだし
処分し、お掃除をして
なんとなく、お店になりました。

このお店の隣に住む、同世代の仲間「まんちゃん」→彼のインスタグラム  https://instagram.com/hayaokisimasyo?igshid=YmMyMTA2M2Y=と、ぼちぼち、改装を進めています。

改装の資金源は、私の個人年金の解約金。

躊躇なく、「解約しよう!」
と思い立ち、改装資金が生まれました。

何のためなのかな?
何のために私はやっているのかな?

と、ふと、立ち止まる瞬間もありますが、

40歳になって、死ぬときのことを考えるようになりまして
自分の人生の幕引きの時を思ったときに
「仲間に見守られて笑ってありがとう!」といって死にたいなーというのが浮かんできました。
何かのためだと表現するなら
自分の死ぬ時のためだけど、
最高に幸せな人生だったよ~ありがとみんな~
と言って死にたいから、です。
死という未来を見据えると
今を生きるということに
しっかり焦点があたってきました。


お米の可能性の意味するところは

いつ頃からなんでしょうか。
お米や田んぼが、「儲からないからやめる」という風に、お金だけの価値で図られるようになってしまってから…と私は感じているのですが、

金にならない
汚い
辛い
カッコ悪い

そのように世間一般的に思われてしまう事態になってしまい、
大学時代には「百姓」という言葉は
使ってはいけない言葉だと知る
そんな経験もしました。

日本人が、価値のないものとして
放棄してきた
田舎、田んぼ、お米。

本当にそうなのだろうか?

18年間、「職業お米農家」でやってきて
私は、自分の中の真実を見いだして来たように思います。

本当はあるはずのお米の可能性。
それを、自分自身にも、戻していくことができました。
価値のないものとされてきたお米の可能性を探ることは、価値がないと思い込んでいた自分自身の可能性を知ることに繋がりました。

食べることを真剣に考えることは
結局自分にかえってきます。
きっと、生きることそのものだから。

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お米野産なかざわ 精米・直売所では

日常食であるお米を玄米で売っています。
精米もお好みに合わせて仕上げます。

お米の麺、お米の粉もお売りします。

農家である私が、食べる人に直接売りたいという思いで始めたお店です。

身体に良い悪いで食べ物を判断する前に、
食べ物がどこからきて
誰がつくって、その人はどんな人なのか?
食べ物の向こう側を知ることで、
何かが見えてくることがあります。
お金を出せば買える代物ではありません。

地域の農業をそこに住む人が支える。
それは、その地域の、人間関係を育んだり、自然環境を育んだりと、豊な関係性を育める、きっかけがたくさんあるのです。

前置きが長くなりましたが
日常食のお米を気軽に買いにきてもらえると
とても嬉しいです。
農薬・化学肥料不使用のお米  昔のお米「朝日」と
農薬は除草剤を1回だけ使用、
化学肥料不使用のお米  現代のお米「恋の予感」

両極のお米をお売りしています。

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